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ピアノの構造を音色から考えてみる 6

この回の題材は、辛辣なことを書きます。

この内容は、誰のためというより、自分について問い正すつもりです。


今まで、ピアノの音色と構造について考えてきました。

しかし、それが誤解の原因であり、

何か神秘的な秘密がピアノにあり、

それを探しているような妄想に囚われている気がします。


簡単なおさらいをします。

私の触っている楽器はピアノです。

正式名称は ピアノフォルテ  弱く強く、が日本名です。

チェンバロから表現ができる楽器、ピアノエフォルテ、そしてモダンピアノになりました。

その歴史は、より表現のできる(強弱)、より大きなホールで弾ける、より広い音域の楽器

そのように進化しました。

誰でも知っている歴史の事実です。

なぜ分かりきった事実があるのに、

現在ピアノを触るときに音色が最優先されるのか?

調律師の方たちも、

私の仕上げたピアノの音色は、私のはというのでしょうか?

今まで一度も、私の仕上げたピアノの表現力は、

表現力を最優先にした調律師の方に、お会いしたこともありません。

音色が良いピアノなら、ショパンの弾いたエラール、プレイエル

リストの弾いたベーゼンドルファー

もっと言えば、本来の音がするチェンバロの方が良いです。

モダンピアノを良い音色にするという考えより、

モダンピアノなら、表現力を持たせる方が優先されるはずです。

ベートーベンが表現できるピアノを要求した、

それからピアノも音楽も表現の世界を求めてきた。


ですから、スタインウェイが音色そのものより、

表現力に最大限に舵を切った楽器と考えるのはとても自然です。

それを音色に秘密があると言って、考えをめぐらす自身間違いで、

まともな答えが出ないのは当たり前です。


より表現のできる(強弱)、より大きなホールで弾ける、より広い音域の楽器

まさしくピアノの追い求めた歴史がスタインウェイの理想なのではないでしょうか?

ですから、スタインウェイに秘密はきっとないと思います。


勘違いの大きな原因

きっと100年も前からヨーロッパの人はピアノについて、

口を酸っぱくしてピアノフォルテだから強弱が大切、表現が大切と言ってきたはずです。

それを日本人は、音を知ろうと必死で勉強してきました。

ですから、全く意思の疎通、受け取り方がズレてしまったのではないか?

タッチの調整も、音色の調整も、

もっと言えば製造の方法も必死で良い音色を作ろうと頑張ってきたのではないか?

向こうは表現のできる楽器を作っているのに、

それを説明しているのに。

この勘違いの根底には、日本人は音色に鈍感な民族と言うコンプレックスがあります。

その反面、味覚は世界でトップレベルです。

ですから、日本人は必死で追いつこうとしていたのではないか?


反面、スタインウェイは皮肉なことに、

音色を犠牲にして表現力に最大限に振ったピアノと思います。

強いて言うなら、表現力を持たせるために音色も利用した。

慣れてしまっていますが、あの不自然な音、

自然で純粋な音ではありません。


こじつけの考えでなく、同じことを調律師は行っています。

調律師が仕上げ整音をする時に、音色のことを第一に考えていません。

先ず音の粒がそれっているか、

ピアニッシモでバラつきが無いか、

フォルテで音が割れたり、弱いところが無いか。

その調整をしていたら、勝手にピアノが良い音色になっていた。

大抵はそんな感じだと思います。

しかし、それをハンマーの調整だけで賄うのは無理がある。

だから本体から整音をした、そしたら勝手に音色が良くなった。

それがスタインウェイの現実ではないのでしょうか?

だから、スタインウェイに秘密は無いと思います。


それでは、なぜ国産ピアノは世界で認められたのか?

大変苦労の歴史があったと思います。

大きな矛盾で、分かりにくく、誤解の原因ですが、

音色が良いピアノを作ろうとして、

自分たちは音色が分かっていないと思い込んで、

ピアノフォルテにも拘らず、表現力のことを二の次に考えて、

音のために必死で精度の高いピアノを作った。

そうして出来上がったピアノは、

丁寧に作ったから、タッチの揃った、表現のある程度できるピアノになった。

世間では、表現のある程度できる、音色の悪いピアノと言う評価がされていると思います。

だから、なおさら音を良くしなければならないと試行錯誤されていると思います。


しかし、音色のきれいな表現力の無いピアノは世の中で必要とされませんでした。

世の中のピアノは、大抵表現はできませんが、国産ピアノよりは音色が良いピアノが多いです。

これは皮肉でなく、スタインウェイの次に国産ピアノが評価されている理由だと思います。


ピアノが良い音色をしていても仕方がない、

良い音色を出すのは演奏者だから、

演奏者の手助けをするのがピアノだから。

そう、どなたかの調律師が言われていました。

良い音色を出すピアノを研究するより

表現力を最優先に考えたピアノを研究すれば、

勝手にいい音色のピアノに仕上がるんじゃないかと思います。


ピアノの構造を音色から考えてみる

ではなく

ピアノの構造を表現力から考えてみる

が本当でした、この記事は私自身について書いた記事です。

どうかお気を悪くされる方が無いように願っています。


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Author:ノブ
こんにちは、ピアノの調律師の谷口です。ピアノの関する情報と、イタリア音楽など関するホームページを作っています。ぜひ立ち寄ってください。